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LES PETITS(レ・プティ) 公式サイト

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LES PETIS History レ・プティ物語

■ 究極の隙間産業 ■
 (第2期 レ・プティ)

それぞれの事情で、それぞれのリズムで、気がつくと東京都練馬区界隈、、、
それぞれの生活、それぞれのタイムで、何故か集う大泉、、、
「定番ライブでも演るか♪」という話が持ち上がったのは、平成16年のことでした。

 拠点となったのは、当時、西武池袋線大泉学園駅南口にあった「Club U.S.A.」。
足元が固まるとカラーも定まってくるもの。"癒し系"と評されつつも、
決して"淡い"とは言いがたい独特のカラー。このころから"レプ・カラー"は
"赤"と"黒"に定着。衣装やPOP等、自然とトレードカラーに揃ってきたのは、
楽曲の雰囲気、ユニットとしての方向性、そして何より二人が持つ
自分たち自身="アコーステック・デュオ「レ・プティ」"のイメージが
確立してきたということでしょうか?

 曲創りに、、、リハに、、、
自由気侭に時間を使えないハズの、ワーキング子育てママ達。
この頃大いに活用したのはネット環境。
当時のモバイルグッズやTV電話はまだまだ未熟ではあったケド、
楽曲の歌詞・コード進行はもちろんのこと、二人とも仕事で音データも扱ってたし、
ライブに絡む連絡、リハ日程なんかに加えて、曲順のこととか、衣装のこととか、
POPの画像データなんかもメールやブラウザ経由でやり取り。

 リアルで動くときはたいがいのことは、レプ・チルドレン絡めてましたね~。
自立自歩、主義主張ある幼児~小学校っくらいの子等でしょ。
どちらかの家庭に子等連れて移動、隣の部屋で子供たち遊んでる間に、ママ達リハ。
おりこうにしてた子等は、リハ終了後に楽しいイベント。
なので子等みんなリハの日が楽しみ~みたいな。

 かくして、
自然発生的に?
生活の副産物?

産みだされるべくして?
育まれるべくして?
究極の“隙間産業”は、大泉を中心に都内各所にて紡がれていったのでした。

***続き***

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